そんな空想をしたことはないかな?
過去に遡れば遡るほど、歴史のifというのは考えていて面白いテーマだよね。SF作品でも定番の設定だし、「ドラえもん」でもタイムマシンで恐竜を見に行ったのび太たちに「一匹の虫を殺したせいでその後生まれるはずの命が生まれなくなる可能性があるから」と説明し、歩いて足元の虫を殺さないように宙に浮いて移動するシーンがあるんだ。あれは子供心になるほどと思わされたものだよ。
アドベンチャーゲームなんかでは、その「もしも」を選択し続けることで様々なエンディングを体験することができるよね。やはり「もしも◯◯だったら」というテーマは人の好奇心を刺激するのかも知れないね。
「バベルの塔」の物語は、信じている宗教に関係なく、知らない人がいないくらい有名な話だ。君も名前くらいは知っているよね?
実はこの話、聖書の中ではほんのちょっとしか登場しないらしいんだよね。僕はずっと「神の怒りにふれたからバベルの塔は壊された」と思ってたんだけど、実際には「怒っている」とも「壊された」とも書かれてないらしい。らしいというのは原文を読んだことがないからだ。翻訳版は翻訳者の主観が混じるみたいで、ネットで探しただけでも色んな解釈が出てくる。中には「神は怒って塔を壊した」みたいな翻訳もあるんだよ。
聖書の神様が何を思ったのかはわからないけど、明らかなのは「人間同士の互いの言葉を理解できなくして世界に散らせた」ってことだけ。それによって人々は意思の疎通が困難になって混乱が起き、世界中にバラけていったらしい。バベルの塔も、街も、建設を中断したとは書かれているけど、「誰かに破壊された」という明確な記述はないみたいなんだよね。だからもしかしたら今もどこかに建設途中で放棄されたままの町や塔が埋まっているかもしれない。そういう考えもまたロマンだ。君ももしかしたら未来のシュリーマンになれるかも知れない。
さて、「産めよ増やせよ地に満ちよ」という言葉を聞いたことがあるかな?これも聖書に登場する神の言葉だ。先ほどのバベルの塔の物語と合わせて考えると、つまり神は人間をたくさん増やして、一箇所に偏らないように世界中に散らせたいのではないか…というのは僕の妄想。
では何故散らせたいんだろうね?妄想を続けてみよう。
いずれ人類は地球を飛び出し、宇宙という無限ともいえる、しかし有限の空間に行くのだろう。さらには神の言葉通り「鳥や魚、あらゆる生物を支配して」宇宙という「密閉された空間」に満遍なく散ってゆくんじゃないかな。密閉された空間に満遍なく存在する人間という小さな粒子。このキーワードで思いつくことといえば…わかるかな?そう、粉塵爆発だ。神様の狙いは新しい宇宙の創造、つまりビッグバンを起こすことだったんだよ!
へー、じゃなくて。そこは「なんだってー!」って合いの手を入れるところだろう。え?知らないの?そっか…こんなところにもジェネレーションギャップがあるのか。
まあいいや。僕はそんな妄想をしていたんだ。宇宙はビッグバンによって誕生したというのは今や定説になっているし、宇宙はこのまま広がり続けるだろうっていうのも同様だ。僕が学生の頃は宇宙が広がり続ける可能性、閉じる可能性、停滞する可能性っていうのがまだ同列に論じられててね、それがとても興味深かったのを覚えているよ。可能性というのはたくさんあればあるほどワクワクするものだ。それがいつの間にか変わってきてて、他の可能性が消えてしまうのは学問の進歩とはいえ寂しいものだね。まあただの感傷だけどさ。
この妄想を前提にバベルの塔が完成していたら、ということを考えると、神様は次のビッグバンを起こす気がないと捉えることができる。それってどういうことなんだろうね?今の宇宙が親で、次の宇宙が子だとすると、ビッグバンが起きないということは、人間に例えると僕らが不老不死になって永遠に生き続けるかわりに子供が生まれない世界になるってのと近いよね。
もしくは他にビッグバンを起こす手段があって、塔の完成はその布石なんだろうか?
結論はないけど、楽しいだろう?
ん?君もよく考えることがあるって?それは嬉しいね。やはりそういうifには夢やロマンが…もしもあの作品が完成していたら支払いがあったはず?やめて!それは生々しいよ!