春の散歩

久しぶりにちょっと散歩でもしようか。今日は良い天気だよ。公園のわきを抜けて、隣駅まで行ってみよう。

桜はすっかり散ってしまったけど、今度は緑の美しい季節だ。まさに「散ればこそいとど桜はめでたけれ、憂き世になにか久しかるべき」だね。意味は…要するに「変わらないものなんて無い、変わるからこそ素晴らしい」という歌だよ。ほら、足元にもたくさんの花が咲いているだろう?この花も恐らく夏には消えてしまう。じゃあ今咲いているこの花に意味は無いのかといえば、そんなことは無い。

そう、僕らはよく「意味」とか「価値」という言葉を使うよね。でもね、忘れないでほしいのは、意味とか価値というものは、与えられるものじゃなくて、自分で与えるものなんだ。

例えば、そうだなあ…君は好きな人と一緒に行った映画のチケットとか取っておく方かい?あ、いや、話が続かなくなるから取っておくことにしよう。

そのチケットに金銭的価値は無いはずなのに、でも捨てられずにいるのは、そこに君が何かしらの価値を与えているからに他ならない。そして、そこには「少しでも物理的な思い出を残したい」という意味がある。でも、それは君が与えた価値や意味であって、例えば僕には関係しない。

子供の頃、わけもわからずに大切にしていた石ころや壊れたおもちゃを母親に勝手に捨てられて、泣いた事はないかな?泣いたかどうかは覚えていないけど、僕はとても悲しかった。もしかしたら怒ったのかも知れない。自分以外の人間が見ればただのゴミでも、自分にとっては大切なもの。それが意味であり価値というものさ。僕の持論では「意味」と「価値」には違う定義があるんだけど、いまは一緒くたに考えても構わないよ。

おや、もう公園を過ぎちゃったね。僕らがこうして散歩していることに、果たして一体どんな意味があるのだろうか?もっと言えば、僕らがこうして生きている事に一体どんな意味があるのか?

そんな疑問が出てきちゃったら大変だ。答えを導く前に、まず質問の意図を明確にしないとね。そもそも「意味」の定義ってなんだろう?いや、それ以前に「この質問は正しい」のだろうか?

でもさ、ひとつだけ確かな事は「意味」というのは人間が作り出した概念だってことだよ。「意味」っていう物質があるわけじゃないだろう?

昔の人は、この綺麗な植物を見て「花」という記号を与えた。その時から「花」という記号には「文字」という性格が与えられ、「この綺麗な植物のこと」という意味が与えられた。

わかるかな?これが最初に言った「意味とは、与えられるものじゃなくて、自分で与えるもの」ということなんだ。この辺は言葉で説明するよりも、多少遠回りでも自分で実感した方が良いかもね。ただ、もし迷う事があったら思い出せば良い。「答えが無いことも、また答えなんだ」ってことをさ。

ところで、おかしいな。そろそろ駅に着いてもいいころなんだけど……
あれ?ここどこだ?たぶんこっちに行けば駅のハズだよ。いや、こっちかな?

え?何か思い出したの?

「答えが無いことも、また答え」だって?そりゃ確かに今は道に迷ってるけどさ……