線形補間と非線形補間

「世はなべてこともなし」なんて言葉もあるけど、それでも物事というのは時と共に変わってゆくものだ。徒然なるままに暮らしてるはずなのにウチの斜め向かいの空き地には今度マンションが建つしね。あの空き地のおかげで窓からの眺めも良かったんだけど、本当に残念だよ。

まあそれはさておき6月も終わり。4月から新しいことを始めた人たちも少しは慣れてきた頃かな?君はそろそろ期末テストだね。頑張ってくれたまえよ。え?他人事みたいに言うなって?だって他人事だし…まあ僕にテストはないけど締め切りはあるからそれで勘弁して欲しいな。それに君はテストの後に長い夏休みがあるじゃないか。じつに羨ましいね。

話に出てきたからそのまま使うけど、テストというのは自身の経験をアウトプットする場とも言える。つまり学ぶことによって変わった自分を確かめる行為なわけだ。もちろん生物というのは学校での勉強に限らず常に学習をしている。「あの店で買ったフルーツは腐ってたから今度は別の店で買う」というのも学習だし「甘いものを食べすぎたら太ったので今後は控える」というのも学習だ。いや、深い意味はないよ?

あ、そういえばアンテノールのケーキがあるんだけど食べるかい?先日ダージリンのファーストフラッシュをみかけてね、それと一緒につい買っちゃったんだよ。

おっと、話を続けよう。なんだっけ?そう、学習の話だ。

生物は脳が生きている限り学習を続けるけど、その学習が嫌になるということもある。そうだな…学校で習う教科にはいろいろあるけど苦手科目を持ってる人もいるよね。それって”何が苦手なんだろうか”?苦手になったきっかけというのが必ずあるはずなんだ。それがどんなに些細なことでもね。例えば「他の人より問題を解くのが遅くなってしまうから」とか「間違った解答をして笑われたから」とか。もしかしたら「先生が苦手だから」なんてこともあるかもしれない。

まだ習ってもいない未知の学問が得意か苦手かなんて事前にわかったりはしない。必ずつまづく最初のステップがあるはずなんだ。これは天才でもない限り、新しいことを学ぶ際には必ず起こる現象だと言っても良い。ある人はそれを克服して行くし、ある人は克服できない。その差はどこから来るんだろうか?

線形補間って言葉を聞いたことがあるかな?数学の用語で、簡単に言うと2つの点と点の間の空白を直線で補うという意味さ。どこかにメモ用紙あったかな…ああ、あったあった。えっと、ある時間で観測した点をここ(A)に打ってみよう。それから1時間後に観測した点をここ(B)に打つ。点は(A)から(B)に1時間かけて移動したと考えられる。じゃあ(A)の30分後に点はどこにあっただろうか?

まあ普通に考えたら(A)と(B)の真ん中だよね。これが線形補間の考え方だ。点は(A)から(B)に向かって等速直線運動をしている。でも何かの現象を考える時、これだと都合が悪いことが多いんだ。地図で言えば道とか建物とかを全部無視して、一切の休憩もなく同じスピードで直進するなんて無理だろう?

苦手を克服できない人は線形で物事を捉えている、なんて考え方はどうだろうか?(A)から(B)に進みたいのに建物が邪魔して進めない。こんなんじゃその先にあるだろう(C)へ行くことだって難しい。(D)へ行く頃には果たしてどんな困難が待ち受けているのか考えるのも恐ろしい…なんてね。これは(A)から(B)まで直線だったんから、まだ見ぬ(C)はその直線の延長線上にあるはずだ、という思い込みを含めた極端な例でもある。

これとは別に非線形補間という言葉もある。言葉の通り、線形(直線)ではない線で補間する、つまり曲線で補間するという意味だ。どんな曲線になるのかは条件や環境によって異なるのが難しいところなんだけど、あんまり厳密に考えなくても良いよ。ここで言いたいのはさ、「(A)から(B)へ向かうのに直進以外にも道がある」ってことなんだ。

線形で考える人は障害物があったときに、それを乗り越えるか壊すかしなければならないと考える。小さいものなら大丈夫だけど、巨大な岩だったり大きな川だったりしたらかなり難しい。その点、非線形で考える人はこれまでの経験から迂回路を想像できる…

うん、実はね、非線形補間を行うにはある程度の経験の蓄積が必要になってしまうんだ。「以前つまづいたときはこうやって回避したから、今回もこうやって回避してみよう」みたいなことだね。この経験は試行錯誤によって得られる場合もあるし、先人の話から得られる場合もある。学校の先生や両親や、本からだって得られるかも知れない。一部の天才はひらめきでなんとかなっちゃうかも知れないけど、それはまあ一般的ではないと思うな。

何かを学習する時に「苦手だな」って感じたら、それをうまく回避できる手段を模索するというのは悪いことじゃないんだよ。どうも何事も根性で乗り越えるのが美徳みたいな風習があるけど、乗り越えるべきものと回避すべきものは分けて考えないといけない。

僕はわりと定義を鵜呑みにできる性格だったから気にならなかったんだけど、「あらゆる定義が何故そうなるのか理解できない」って人もいる。極端な話をすると「たけしくんが500円を持って買い物に出かけました」という文章を読んで「何故500円なの?1000円じゃダメなの?」という感じにね。そうなってくると問題どころじゃない。言葉ひとつひとつの定義と根拠が気になってしまって、本来解かなければならない問題を考えることができない。これは乗り越えるべき壁なんかじゃないよね?回避すべき障害物だ。

今までは学校の勉強を例にとってたけど、アルバイトや人間関係、仕事なんかでも同じことが言える。最初に嫌な出来事があったとき、線形で考えてしまうとそれは乗り越えるべき壁になってしまう。でも本当にそうだろうか?その出来事が特殊だっただけで、実は回避して前に進めるんじゃないか?そう考えるのが非線形と言えるんじゃないかな。

だから君もね、苦手な何かにぶつかったときに正面から向かうだけではなくて、それが回避可能な障害かどうかってのを考えてみると新しい発見があるかもしれないよ。

ところでさっきから難しい顔でケーキとにらめっこしてるけど、どうしたんだい?乗り越えるべきか回避すべきか、それが問題だ?

とりあえずハムレットと違って毒は入ってないから、ゆっくり考えておくれよ。