RSS 1.0

newest

プラスの感情、マイナスの感情

僕らはいつも、いろんな感情の渦の中にいる。この感情というやつを大別すると「プラス」と「マイナス」に分けられるよね。日常会話で使うかどうかはともかく、君も言葉としては知っているんじゃないかな?

でも、プラスとマイナスがあるんだったら「ゼロ」という基準がなくちゃ始まらない。じゃあ「ゼロの感情」って何だろう?不思議に思わないかい?

ん?「ゼロは無感情じゃないか」って?うん、なかなか良い答えだね。でもまだ曖昧さが残っている。できれば定量的に解決したい、というのが今回のお話なんだ。おそらく多くの人は、君と似たような考え方をしているんじゃないのかな。無感情というのは言葉が悪いけど、そうだなあ「平穏」と表現しようか。平穏な心の状態の時をゼロとして、それより嬉しい時はプラス、悲しい時はマイナス、という具合にね。

それで不都合があるのかと言われれば、別に何も無い。ただね、例えば明日から元気に仕事をしなくちゃいけないのに、ずっと何かを引きずって落ち込んだままだったりすると都合が悪いだろう?時間が解決してくれる事もあるけど、それを待っているほどの余裕も無いなんて時は、自分で努力しなくちゃいけない。そんな時は、対象が定量的であった方が扱いやすいんだよ。東洋医学と比べて西洋医学が世界的に広まったのも、西洋医学の方が対象をより定量的に扱っているからだよ。「心」のような非定量的な学問は、最近では話題になってるけど長らく認知されていなかったんだ。

さて、話を元に戻そうか。ゼロの感情の話だったよね。

僕はね、プラスの感情とマイナスの感情と呼ばれるものを幾つか、なるべく具体的にリストアップしてみたんだ。友達とケンカをした後の憂鬱な気分だとか、やりがいのある仕事を任されてワクワクしている感じだとか、まあ他にもいろいろ。すると面白い事に「明日が楽しみか、そうでないか」という風に分けられることがわかったんだ。

例えばそうだなあ、君は学生で、明日学校で苦手科目のテストがある。楽しみかな?

…聞くまでもないって顔してるね。

じゃあ、仲の良い友人と遊ぶ約束だったらどうかな?

もっと聞こうか。君はちょっといいなと思ってる人から愛の告白をされて、次の日曜日にデートの約束もした。しかし直前になって「もしデートをして嫌われたらどうしよう」と不安になる。当日着ていく服も決まらない。それは楽しみかな?

そんな不安を感じた事はないって?君はもうちょっと繊細という言葉の意味について調べた方が良い…いてて、ゴメンゴメンてば。髪の毛を引っ張らないでくれよ。

まあつまりだね、嬉しい事が待っているからと言って、必ずしも明日が楽しみとは限らないってことさ。デートはしたい、でももうちょっと考える時間が欲しい。時間が止まってくれれば…なんて考える人は世の中にゴマンといるはずさ…たぶんね。

時間というのは、日常生活を送っている限り一定で普遍的なものだよね。もちろん一部の物理の世界ではその限りではないけど、この話には関係ない。時間を止めたい、もしくは過去に戻りたいという欲求は、その時間の流れを止めようとする逆方向の力、つまりマイナスの力と考えることができる。この場合は、時間の流れる方向がプラス側で、力の働くポイントは時間軸に於ける現在、要するに今この瞬間ってことだよ。

ここまで考えればわかるよね?僕が言いたいのは、感情のゼロポイントというのは、時間の流れに身を任せた状態の、現在の自分自身だってことなんだ。そうすると、いろいろな事がすっきりと定量的に説明可能になる。

プラスの感情というのは時間を速く進めたいという欲求、マイナスの感情というのは時間を止めたい、戻したいという欲求。実際に戻りたいと思うかどうかはともかく、思考のベクトルが過去に向いていればマイナスという考え方だよ。だから「あの頃は楽しかったなあ」というのも当然マイナスの感情になる。

更に、感情がプラスであろうとマイナスであろうと、一般的に時間の流れるスピードは変わらないよね。にもかかわらず「早く明日になれ!」とか「もう一度昨日からやり直したい!」と強く思ってしまうと、それがストレスになってしまうんだ。だって、どんなに強く思っても、恐らくその願いが叶う事は無いからね。どっかの小説の主人公だったら15,498回くらい過去に戻れそうだけど、普通は無理だ。行き場をなくしたその強いエネルギーは、結局自分自身にフィードバックされてしまう。ストレスの存在を全否定するわけじゃないけど、そんなに沢山あっても困るからね。何事もほどほどが良いのさ。

まあ、感情のプラス、マイナスに時間軸を取り入れた解釈を行っただけで、これで何かが解決されるわけじゃないんだけど、自分が過度の感情に溺れそうになった時に、参考くらいにはなるんじゃないかな。そんなに簡単に感情をコントロールできたら苦労しないって思うかも知れないけど、それは間違いだよ。感情はコントロールできるものさ。

分かりやすい例をあげれば、誰かとケンカをして悪口を言っているうちに、だんだんと自分が抑えられなくなる、なんて事を経験した事ないかな?最初は冷静だったはずなのに、徐々にいろいろ腹立たしい思い出が蘇って…

これは、自分で自分をより怒らせる方向へコントロールしているからだよ。落ち込んでいる時や、嬉しい時なんかも、それを増長する方向へコントロールするのは容易いんだ。逆は難しいけどね。

どうだろう?少しは役に立った?

は?寝て起きれば嫌な事は全部忘れちゃうから、あんまり役に立たなかった?

常々思うのだけど、やはり君は繊細という言葉の意味を…いててて!

| 2005,09,03,Sat 15:30 | H.Higuchi | comments (x) | trackback (0) |

言いたいこと?言うべきこと?

最近は多くの人が何かしら物を作るという行為をしているね。もちろん仕事として音楽や文章を作っている人もいるし、個人のHPで日記を書いている人だっている。何もやっていないと嘆いている人だって、よくよく探せば何かしら生み出しているものさ。

ところでさ、誰しも言いたいことってあるんじゃないかな?そんな大層な事じゃなくても、会社の愚痴とかさ、ゲームで最高得点をとったとか。君だってほら、買ったばかりのバッグを自慢したくてうずうずしているだろう?

うわ、やぶ蛇だったか。ゴメンゴメン、後でちゃんと聞くからさ。話を先に進めていいかな?「え〜」じゃなくて。そうだ、紅茶でもいれようか。スーパーの安売りだけどね。

えっと、何の話だっけ?そうそう、言いたい事があるんじゃないかって話だったね。人間はね、本当は喋るのが大好きな生き物なんだ。もちろん大人しくて喋るのが苦手な人もいるかもしれないけどね、それは苦手というだけで嫌いなわけじゃない。ちゃんと話を聞いてくれる人に出会いさえすれば、ほとんどの人は話し手になりたがる。というのは本の受け売りだけどね。でも本当なんじゃないかな?

自分が素晴らしいと思ったもの、自分が嫌だと思ったもの、そういうものを身近な人に話すことで共感を得たい。それはとても自然なことだと思うよ。

でもね、それを「作品」に昇華させようとなると話は違う。例えばさ、すごく面白いミステリ小説を書いた人が、あまりの嬉しさに内容を言いふらしたとするよね。君は誰が犯人で、大体どんな話なのかも知ってしまっている。そんな小説をわざわざ買おうと思うかな?

つまりそういうことなのさ。小説に限らず、音楽でも絵画でも彫刻でも、作り手は自分の考えていることを表現したくてうずうずしている。思いついた事は全部詰め込みたいと思っている。でもそれじゃあただの自己満足なんだ。いろんな色の絵の具を混ぜたら黒になってしまうだろう?さすがに真っ黒になったキャンバスを見て満足する人はいないと思うけどさ。

でもさ、言いたい事が言える環境にいるっていうのは、やっぱり素晴らしいことなんだろうね。政治的な環境もあるし、友達の有無だって重要な問題だ。僕だって君という聞き手がいるから喋ることができる。

え?僕ばっかり喋ってないで、はやく自分にも喋らせろって?

了解。やっぱり人は話し手になりたい生き物なんだろうね。実感するよ。それじゃあ僕の話はおしまい。今度は君の番だ。幸い今日の服装は黒で統一してるから、これ以上黒くなることもないしね。

| 2005,05,31,Tue 16:49 | H.Higuchi | comments (x) | trackback (0) |

春の散歩

久しぶりにちょっと散歩でもしようか。今日は良い天気だよ。公園のわきを抜けて、隣駅まで行ってみよう。

桜はすっかり散ってしまったけど、今度は緑の美しい季節だ。まさに「散ればこそいとど桜はめでたけれ、憂き世になにか久しかるべき」だね。意味は…要するに「変わらないものなんて無い、変わるからこそ素晴らしい」という歌だよ。ほら、足元にもたくさんの花が咲いているだろう?この花も恐らく夏には消えてしまう。じゃあ今咲いているこの花に意味は無いのかといえば、そんなことは無い。

そう、僕らはよく「意味」とか「価値」という言葉を使うよね。でもね、忘れないでほしいのは、意味とか価値というものは、与えられるものじゃなくて、自分で与えるものなんだ。

例えば、そうだなあ…君は好きな人と一緒に行った映画のチケットとか取っておく方かい?あ、いや、話が続かなくなるから取っておくことにしよう。

そのチケットに金銭的価値は無いはずなのに、でも捨てられずにいるのは、そこに君が何かしらの価値を与えているからに他ならない。そして、そこには「少しでも物理的な思い出を残したい」という意味がある。でも、それは君が与えた価値や意味であって、例えば僕には関係しない。

子供の頃、わけもわからずに大切にしていた石ころや壊れたおもちゃを母親に勝手に捨てられて、泣いた事はないかな?泣いたかどうかは覚えていないけど、僕はとても悲しかった。もしかしたら怒ったのかも知れない。自分以外の人間が見ればただのゴミでも、自分にとっては大切なもの。それが意味であり価値というものさ。僕の持論では「意味」と「価値」には違う定義があるんだけど、いまは一緒くたに考えても構わないよ。

おや、もう公園を過ぎちゃったね。僕らがこうして散歩していることに、果たして一体どんな意味があるのだろうか?もっと言えば、僕らがこうして生きている事に一体どんな意味があるのか?

そんな疑問が出てきちゃったら大変だ。答えを導く前に、まず質問の意図を明確にしないとね。そもそも「意味」の定義ってなんだろう?いや、それ以前に「この質問は正しい」のだろうか?

でもさ、ひとつだけ確かな事は「意味」というのは人間が作り出した概念だってことだよ。「意味」っていう物質があるわけじゃないだろう?

昔の人は、この綺麗な植物を見て「花」という記号を与えた。その時から「花」という記号には「文字」という性格が与えられ、「この綺麗な植物のこと」という意味が与えられた。

わかるかな?これが最初に言った「意味とは、与えられるものじゃなくて、自分で与えるもの」ということなんだ。この辺は言葉で説明するよりも、多少遠回りでも自分で実感した方が良いかもね。ただ、もし迷う事があったら思い出せば良い。「答えが無いことも、また答えなんだ」ってことをさ。

ところで、おかしいな。そろそろ駅に着いてもいいころなんだけど…
あれ?ここどこだ?たぶんこっちに行けば駅のハズだよ。いや、こっちかな?

え?何か思い出したの?

「答えが無いことも、また答え」だって?そりゃ確かに今は道に迷ってるけどさ…

| 2005,04,23,Sat 3:19 | H.Higuchi | comments (x) | trackback (0) |

まぎらわしい?

まぎらわしいと思った事はないかな?

何の事かわからないって?それもそうだね、順を追って話そう。

焼酎ってあるよね。そう、あのお酒の焼酎。先日軽く飲みに行く機会があって、そのお店にいろんな種類の焼酎があったんだ。詳しい人なら知っていると思うけど、最近はいろんなものを原料にした焼酎があるんだねえ。麦、芋、そば、栗なんてのもあったよ。せっかくだから色んな種類を少しずつ飲もうという事になって、何種類か頼んで味見してみたんだ。それぞれに独特のクセや風味があって面白かったよ。

その中に黒糖の焼酎というのがあってね、いったいどんな味なんだろうってワクワクしてたんだ。ところが香りを嗅いでみて、どこかで飲んだ記憶があるな、と思った。カンの良い人なら気づいたかもしれないけど、そう、「バカルディ」によく似ているんだ。あ、バカルディってのはラム酒の銘柄のひとつだよ。そのときになってようやく気づいたんだ。ラム酒も焼酎も同じように蒸留して作るお酒で、原材料が同じ黒糖ってことは、ほとんど同じものじゃないかって。

「サトウキビを原料にした蒸留酒」といえばラム酒がすぐに思い浮かぶのに、「黒糖の焼酎」と言われて全く別ものを想像してしまう。不思議だよね。

言葉だけじゃわからないって?じゃあ今度ごちそうするよ。

名前が違うだけで同じもの、そういう話は結構あるんだ。例えば、職業柄良く質問されるのは「ダブルドミナントとドッペルドミナントの違いは何?」というのがある。あとはコンピュータで音楽をやってる人に多いんだけどファゴットとバズーンの違いを聞く人も、たまにだけどいる。

君はわかるよね?そう、言語が違うだけなんだ。英語で「ダブルドミナント」のことをドイツ語では「ドッペルドミナント」というし、英語で「バズーン」のことをイタリア語で「ファゴット」という、ただそれだけなんだよ。

これらは音楽に関係した特殊なものだけどね、身近な例だってある。そのひとつが「ビー玉」さ。ビー玉は知ってるよね?ああ、良かった。最近はジェネレーションギャップを感じる事も多くて、知らないって言われたらどうしようかと思ったよ。まあ、どうもしないんだけどね。

ビー玉はビードロの玉ってことでね、実はポルトガル語でガラス玉のことなんだ。あ、もちろん「玉」は日本語だよ。だからビー玉やガラス玉って違うもののように感じるかも知れないけど、言葉の持つニュアンス以外は基本的に同じものってことさ。

なんで英語じゃなくて、わざわざポルトガル語なのかって?そりゃ日本に最初に上陸したヨーロッパ人がポルトガル人だといわれているからだよ。種子島のピストル伝来の話とか有名だよね?

え?知らない?そのくらいは知っておいてくれよ。多分中学校で習ったはずだよ。

ポルトガル語のいくつかは日本語として定着していて、わかりやすい例で言えば花の水やりに使う「じょうろ」や雨の日に着る「カッパ」も元はポルトガル語だと言われている。特に「びいどろ」という言葉は、昔の文学先品にも数多く見つけることができるメジャな言葉だから探してみるといい。

ちょっと話がそれたかな。そんなわけで名前が違うだけで同じものっていうのは結構あるんだよ。コンピュータでも「○○社のCD-ROMドライブは××社のOEMだから中身は同じ」という話があったりするしね。

いちばんスケールがでかいのはキリスト教とユダヤ教、そしてイスラム教の「唯一神」かも知れないね。もっとも、これをまぎらわしいと感じる人は少ないと思うけど。

| 2005,04,15,Fri 13:20 | H.Higuchi | comments (x) | trackback (0) |

ティータイム(1)

さて、桜もそろそろ散ろうというのに、スギ花粉は相変わらず元気に浮遊しているようだね。君は平気なの?ああ、やっぱり今年から調子悪いんだ。そういう人多いみたいだよ。

まあ君の花粉症は嬉しくない例だけど、この春から新しい事を始めたいって人は結構いるんじゃないかな。特別今年に限ったことじゃないけどね、春ってやっぱりそんな雰囲気を持っているような気がするよ。

新しい何かを経験したいという欲求は、自分自身を変えたいという欲求の表れと思っても良い。これまでの自分では何かが足りない、新しい何かを始めることで、その足りない何かが埋まるんじゃないかと思っている。例えば、新しい技術を磨いて仕事に活かしたいとか、新しい出会いを求めて恋愛をしてみたいとか、どれも前向きで素敵なことだと思うよ。

君は何かやってみたいことはある?

いや、無理に答える必要はないんだけどね、結構重そうな荷物を持っているから、何か始めるのかと思ったんだよ。実は意外と環境って開かれているものでね、その人の気持ちひとつで世界の見え方が変わったりするものだよ。自分にできない事を環境のせいにする人もいるけど、それは良くない考えだよね。

え?自分だって仕事が進まないのを環境のせいにしてるって?

えーと、それはだね…いや、なんというか、君もずいぶん揚げ足取りが上手くなったね。でもね、他人の揚げ足をとれるくらい人の話をちゃんと聞くというのは、とても大切なことだよ。よく「ケンカをするほど仲が良い」と表現したりするけど、これはケンカをすることでお互いの存在を認め合っているからなんだ。一番ひどいのは「無関心」で、相手の存在を徹底的に無視することだからね。

唯脳論的に言えば、存在を無視するということは、世界から存在を抹消する行為に等しい。つまりね、人格的殺人行為なわけだ。相手の問いかけに応える行為が、それぞれの世界を結びつけるプロトコルの役割を果たしている。

ちょっとオカルト的な話になるけど、幽霊と会話をしちゃいけないって話は知ってるかな?百鬼夜行にもそんな話があったような気がするけど、幽霊と会話をすると、あの世へ連れて行かれちゃうといういわれがある。これもある意味唯脳論的な解釈が可能だと思う。それだけ「言葉のやりとり」というものが重要視されていたということだよ。

話がずれてきてるって?ずらしたのは君だよ。でも、さほどずれていないとも言える。ちょっと無理矢理つなげてみようか。うまく行くかどうか分からないけど、まあ、その時は笑ってごまかすことにするよ。

環境ってなんだろう?それはね、自分が認識できる自分以外のもの、と定義できる。物理的に「そこ」に存在しているかどうかは重要じゃない。足元にころがる石を、それと認識できる事が重要なんだ。そのためには、視線を下にずらすという行為を学ぶ必要がある。それを教えてくれるのも、実は環境なんだ。ほら、「自分が認識できる自分以外のもの」って言ったろ?他人も環境の一つと言えるんじゃないかな?

何かに行き詰まった時は、やっぱり誰かに相談するだろう?

うん、大切なのは自分の世界にいるのが、自分一人じゃないってことなんだ。自分の世界に自分一人しかいないと、結局誰も自分をわかってくれないと感じるようになる。当然だよね。砂漠でたった一人遭難して苦しんでいるようなものさ。他の人は今頃きっと楽しく暮らしているに違いない。もし、そんな風に思ってしまったのなら、誰かと話してみるといい。意外と君の近くで、同じように遭難しているかも知れないよ。

それが分かったからといって、何かが解決するわけじゃないけどね。ほら、さっきから君も花粉症でつらそうだけど、それは君だけじゃない。僕も同じ症状を持っているわけだから、多少は苦しみを共有することができる。それで少しは気が楽になるだろう?共有が良いか悪いかは、また別の議論が必要だけどね。あらゆる価値観や世界を共有してしまったら宗教になってしまう。どんなに重くても、自分ひとりで持たなきゃならないものもあるってことさ。君のその荷物みたいにね。

おっと、もうこんな時間か。そろそろ仕事の締め切りなんだよ。やらなきゃいけないんだけど、腰が重いなあ…。自分で持たなきゃいけないとは言うものの、この重さは誰かに持ってもらいたいね。

| 2005,04,12,Tue 20:10 | H.Higuchi | comments (x) | trackback (0) |

newest top

CATEGORIES